どうもみう太です(ΦωΦ)
最近は未来のゲーム予想記事が増えていますが、E3開催直前という事でご容赦頂ければ幸いです。
今年のE3はかなりの盛り上がりになりそうだと感じていますが、現在開発中であるNintendo Switch(ニンテンドースイッチ)版『ファイアーエムブレム』も新たな発表が予想されますし、個人的にとても楽しみにしているところです(ΦωΦ)
久しぶりの据置FEに期待する事は?
近年のファイアーエムブレムと言えばニンテンドー3DSなど携帯プラットフォームで開発されていましたが、2018年内に発売が予定されている最新作はニンテンドースイッチのタイトルなので、『ファイアーエムブレム 暁の女神』から11年振りの据置ハードでの発売になります。
(暁から10年以上経ってる事に衝撃を受ける。)
しかし、ここ数年のファイアーエムブレムは少し昔と方針が違っていて、その内容の変化に戸惑う従来のファンも多く、賛否が分かれている部分がありました。
今回はその『昔のファイアーエムブレム』と『最近のファイアーエムブレム』の違いと、なぜ大きな変化を遂げてしまったのかを紹介しながら、最新作に期待する事をまとめてみようと思います!
『覚醒』での変化は意図したものだった
まず、ファイアーエムブレムにとって大きな転機を迎えたのが、2012年に発売された『ファイアーエムブレム 覚醒』になります。
ファイアーエムブレムはシリーズを通して西洋とファンタジーを掛け合わせたような世界観で、様々な国や大陸を巻き込んだ戦争がテーマに描かれています。
敵も味方も魅力的なキャラクターは多いですが、戦争を取り扱っているだけあって、死んでしまった仲間は生き返らない『硬派』でコアゲーマー向けな要素が人気を集めていました。
ところが、『ファイアーエムブレム 覚醒』ではストーリー以上にキャラクターにも焦点が当たるようになり、『恋愛』や『結婚』といった要素の比重が大きくなった事で、従来のファンには賛否の分かれる結果になっています。
過去の任天堂公式サイトの『社長が訊く』を読むと、まず『ファイアーエムブレムを変化させる事』をコンセプトに開発はスタートしていて、極端に言えば『現代』をテーマにした作品にしても良いと考えていたようです。
現代をモチーフにした『ファイアーエムブレム2011』や、恐らく童話などを取り入れた『おとぎ話』風ファイアーエムブレム、果てには火星で戦うようなゲームの案も出ており、最終的にはお馴染みの中世的な世界観に収まりましたが、もしかしたら今以上に雰囲気の違ったファイアーエムブレムの可能性も有ったのかもしれません。
キャラクターへの『愛』がテーマに
開発当初はまったく違う世界観の構築を考えていましたが、それが難しいと感じ、『ファイアーエムブレムの集大成』に舵を切る事になりました。
シリーズによって特色が少しずつ違うので、どのような要素を詰め込むかは意見が分かれましたが、最後は『キャラクターを好きになる事』に集約し、その結果が『恋愛』や『結婚』というシステムに繋がっていそうです。
結婚に関するシステムは過去に『ファイアーエムブレム 聖戦の系譜』でも取り入れられていて、少し意外に感じるかもしれませんが、『もう一度結婚したい』と最初に発言したのは開発のインテリジェントシステムズ(IS)ではなく、任天堂側でプロデューサーを務めていた山上 仁志さんのようです。
同じく任天堂側でディレクターを務めた横田 弦紀さんも結婚を入れたいと考えており、ISとも意見が合致した事で導入が決定的になりました。
過去のタイトルでも組み込まれていたシステムが、なぜ『覚醒』では賛否が分かれているかと言うと、ある意味『キャラクターへの愛』が一種の暴走をしていたからかもしれません。
というのも、開発としては『とにかく超集大成にしたい』という思いが強く、例えば結婚できるなら全てのキャラクターを結婚させたい、結婚するならその時に告白のボイスを入れたい、イベントでは特別なグラフィックが欲しい…などなど、予定を大幅に上回る作業量が追加されていたそうです。
その結果として個々のキャラクターへのスポットは多くなりましたが、結婚イベントはまるで恋愛シミュレーションのようであったり、キャラクターの表面的なアクの強さだけが目立ってしまったり…、従来のシリアスな重厚感が少ないと感じるユーザーも少なくありません。
逆に、昔のファイアーエムブレムは存在感の薄いキャラクターも多く、作品によっては一言もセリフが用意されていない仲間もいました。
その理由は『トラキア776』を開発していた1999年のインタビューで語られており、当時は『キャラクターの性格をプレイヤーに委ねている』とコメントしています。
つまりはゲーム内で多くを語らず、プレイしているユーザーが『こいつは気が強そうだから前に出そう』『こっちは優しそうだから誰かと組ませよう』など性格を感じ取り、ゲーム内に反映させた遊び方を期待していたとの事です。
また、昔のファイアーエムブレムは『滅びの美学』をテーマに据えていて、目的を果たすために犠牲になってしまった仲間とのドラマを大切にしており、そもそも全員が生き残る遊び方は開発の意図と違うと言われています。
その為、途中からでも戦力になる補充要因が多めに用意されていたり、死んでしまった事を受け入れられるようにキャラクターの味付けを薄くしていた側面もあるかもしれません。
しかし、この『滅びの美学』が任天堂にとってはユーザーの間口を狭めていると感じ、もっと多くのプレイヤーがクリア出来るように調整して欲しいと考えるようになりました。
また、開発は仲間の犠牲を乗り越えた展開を想定していましたが、結局は熟練のプレイヤーになるほど仲間の死が許せなくなり、もし死んでしまった場合はリセット…というのもお決まりのようになっています。
今では1人1人のキャラクターの個性を強くし、例え死んでしまっても蘇る『カジュアルモード』も用意されていますが、『死ぬ度にいちいちリセットしてやり直されるなら、死なないモードを作ろう』という考え方も、確かに一理あるのかもしれません。
戻して欲しくても『戻して』と言えないジレンマ
と、そうこう言っても『今のファイアーエムブレムはファイアーエムブレムじゃない!』と、昔ながらのシリアスな作風に戻して欲しいファンは多いと思います。
…が、なかなか表立って『戻して』と言えないのが、『ファイアーエムブレム 覚醒』の誕生の経緯と結果に表れています。
まず、そもそも『ファイアーエムブレム』シリーズはSRPGの金字塔とも言えますが、硬派なイメージは新規のユーザーを取り込みにくく、あまり売り上げが好調という訳でもありませんでした。
その結果、任天堂の営業本部長である波多野 信治さんに『ファイアーエムブレムは数字が取れないから、これで最後』と通告され、シリーズの終了が開発側に宣言されていました。
それが『悔いの無いようにこれまでの集大成を作ろう』に繋がり、すべての要素を詰め込んだ『ファイアーエムブレム 覚醒』開発のきっかけになります。
しかし、大きく方向転換した『覚醒』は国内でおよそ45万本、Wiiで発売された『暁の女神』の3倍近い売り上げを記録した事から、任天堂も『次はいつできるんだ?』とシリーズの継続を望むようになり、まさに『救世主』と言える作品になっています。
その後はご存知のように『ファイアーエムブレム if』の開発、無双とのコラボレーション、スマートフォンアプリへの進出…、活躍の場を大きく広げていますが、どれもこれも『ファイアーエムブレム 覚醒』のヒットが無ければ実現していなかった事であり、結果が出ている以上は売り上げの芳しくなかった『昔のようにしろ!』とは言いにくいものがあります(ΦωΦ)
ファイアーエムブレムは任天堂の商標ではありますが、開発は基本的にインテリジェントシステムズに任されており、任天堂本社が携わった事はありません。
IS以外にファイアーエムブレムを作るような会社がない以上、『覚醒』のヒットはシリーズファンにとって非常に大きかったのも事実と言えそうです。
シナリオの改善と意思疎通
結婚や恋愛に関するシステムは賛否が分かれますが、開発の意図したようにキャラクターへの愛着が深まるという意見もあり、続編に引き継いで欲しいかは人によって違ってくるかもしれません。
それよりも更に否定的な意見が多いのは、ゲームの根幹と言える『シナリオ』の部分です。
従来の作品と比べて重厚感が薄れているだけでなく、『覚醒』でも『if』でも、まるで『ご都合主義』のような展開に辟易してしまったユーザーも少なくありません。
しかし、開発も物語の重要性はしっかりと認識していて、『覚醒』のシナリオに批判が集まった事をきっかけに、『if』では『金田一少年の事件簿』などで知られる樹林 伸さんに原案の依頼を出しています。
当初、樹林さんは100%断るつもりだったのですが、仲介をしてくれた編集者の顔を立てるために1度ファミレスで待ち合わせをし、その時に『覚醒』のソフトを2本受け取って持ち帰っています。
その後の休暇中にソフトの1本を樹林さんが、もう1本を娘さんがプレイしていたのですが、娘さんの方がすごい勢いで『覚醒』をプレイするようになり、『これ、すごく面白いから、仕事引き受けた方が良いよ』と後押しした事で、断るつもりだった樹林さんがシナリオに参加する事になりました。
ある種、奇跡的な繋がりから樹林さんの協力が得られるようになりましたが、それでも『if』もシナリオに対する評価は残念ながら高くありませんでした。
その理由としては、これは推測になりますが、そもそも樹林さんは元々シリーズのファンという訳ではなく、『覚醒』のプレイがファイアーエムブレムに対するベースになっていたので、従来のシリアス感をあまり取り入れられなかったのかもしれません。
また、2015年に発売された書籍『ファイアーエムブレム メイキング』のインタビューでは、原案を担当した樹林さんと、シナリオの落とし込みを担当したISの小室さんとの間にやり取りはなく、ゲームの展開に合わせて章の入れ替えがあったり、原案にないイベントの追加などがあった事を明かしています。
このような事例は他のゲームでもあって、例えばPS2でスクウェア・エニックスから発売された『聖剣伝説4』も、ゲームでは多くの描写が削られていた事から、原案を担当した加藤 正人さんは『自分のシナリオとは別物』とコメントしており、原作者と開発側で意思の疎通が出来ていない事は度々あるようです。
『ファイアーエムブレム if』ではどのくらい改変されていたのかは分かりませんが、もしかしたら本来の原案とは少し違った形で開発されていたのかもしれません。
回帰のカギを握るのは『明智光秀』?
ファイアーエムブレムの昔ながらの面白さを取り戻すためにカギになるのが、かの戦国武将『明智光秀』かもしれません。
『何を言っているんだコイツは』と言われそうですが、これも1999年当時のインタビューが関係しています。
当時ディレクターを務めていた加賀 昭三さんは、戦争を描きたいのではなく、戦争をしなければならない状況にロマンを感じるとコメントし、勧善懲悪や絶対悪といった存在に縛られない世界観を大切にしていました。
歴史上で好きな人物は『明智光秀』と答えており、優しくマジメ過ぎたが故に身を滅ぼしてしまうところに『人間らしさ』を感じていたそうで、彼のイメージを投影したキャラクターが各作品に1人ずつはいると明かしています。
例えば『ファイアーエムブレム 暗黒竜と光の剣』では、マルスの祖国であるアカネイア王国の王女『ニーナ』に心惹かれつつも、高い忠誠心からグルニア王国を裏切れずに敵対した『カミュ』が登場しています。
後の作品でも、『ファイアーエムブレム 封印の剣』ではゼフィールやマードックへの恩義から立ちふさがる『ゲイル』や、『烈火の剣』であればニノを気遣いながらも黒い牙としての立場を貫いた『ロイド』と『ライナス』など、敵でありながら非業の死を遂げる印象深いキャラクターがいました。
他にも、マシューと恋人でありながら隠密活動中に殺されてしまう『烈火の剣』の『レイラ』、妻の死を利用され裏切りかつての仲間に討たれた『聖魔の光石』の『オルソン』、血の誓約書に縛られ自害を決意する『暁の女神』の『ペレアス』など…、『なんとか助けたかった』と思わせるキャラクターの存在が、従来のファイアーエムブレムの人気に関係していたのではないかと思います。
(ペレアスは実際なんとか助かるんだけど(ΦωΦ))
ファイアーエムブレムに限った話ではありませんが、近年の作品はキャラクターへの人気が高まる一方で、『死』や『不幸』ですらも美化して描かれる事が多くなっている気がします。
(例えば戦国無双とかも、昔は織田信長が鉄砲で頭を撃たれたり、浅井長政が自ら刀で首筋を斬ったり、泥臭くてインパクトの強いものが多かったような…?)
しかし実際は、『どうにもならない死』というのが戦争には付き物であって、『死そのものをドラマにする』のではなく、『死を乗り越えた先にドラマがある』展開をファンも期待しているのかもしれません。
印象深い作品だったら良いな
ここまで書いておいて説得力があるか分かりませんが、別に私は『覚醒』の否定派とかそういう訳ではなく、普通に楽しく遊んでいた1人です(ΦωΦ)
ただ、言われてみれば『サーリャが可愛い』だとか『ノノが可愛い』だとか、思い浮かぶのはキャラクターの事ばかりで、ストーリーに関してはあまり深く思い出す事が出来ません…。
(単純に記憶力が低下しているのもある。)
それに対して『烈火の剣』や『暁の女神』などはプレイが何年も前ですが、確かにこちらの方が物語の大筋を覚えているので、それだけ『覚醒』はシナリオがキャラクターに食われていたのかもしれません。
決して『キャラクターの死』を望んでいる訳ではありませんが、多くの仲間や力を手に入れながらもどうにもならない『戦争の無力さ』のような、古くから引き継がれている『滅びの美学』を踏襲した新作を期待したいと思うところです(ΦωΦ)